西山浄土宗の教え
about西山浄土宗とは
西山浄土宗のお念仏は、救って下さい、助けて下さいとお願いをするお念仏ではなく、感謝のお念仏です。
とても救われようのない自分、地獄にしか行き先がないこの自分であると心から懺悔したとき、
その刹那、地獄の猛火が清涼の風に変わり、浄土に生まれるのです。
それが阿弥陀仏の大慈悲であり、
知らず知らずその大慈悲に包まれていたことに気づき、
感謝のお念仏が称えられるのです。またそれは私の口を通して阿弥陀仏がお称えくださっているのです。
阿弥陀仏のそうした慈悲に包まれているからこそ、人間としてのこの人生、一時も無駄にできません。
人生の目的は幸せな人生を送ることであると、ダライ・ラマ師は、おっしゃっているように、
幸せな人生とは、何か。
よくよく考えなければなりません。
西山浄土宗の教えは、安心と起行を大切にしています。
阿弥陀仏の大いなる慈悲に包まれているといただく心が「安心」です。
その心を持ったとき、自分に何ができるのか。
人間に生まれたこの時に、ただ怠惰に時間を費やすのと、ご家族やご近所の方々見知らぬ方々の幸せのため、
我が命の時間を使うのと、どちらが幸せを感じるでしょう。
私は、後者の生き方が、人間が本性として持っている他を活かす利他利生の現れだと思っています。
それが「起行」であり実践です。
一人で生きているのではない。
多くの命のおかげで生かされている私です。
感謝のお念仏とともに自分にできる範囲での実践に励みましょう。
浄土門
法然上人は、一代仏教を聖道門と浄土門の二種の法門に分けて、
末法の世、五濁悪世のこの世界では、自ら仏となる「聖道門」は困難である。
まずは浄土に生まれる「浄土門」をすすめ、清らかな国で仏を目指すことを説きました。
西山上人
治承元年(1177)父源親季もと生誕。
文治元年(1185)9歳の時、源通親の猶子となり、建久元年(1190)14歳にして、法然(当時58歳)の弟子となりました。
建久9年(1198)若干22歳にして、法然が選択本願念仏集を選するにあたり、西山上人は勘文の役を勤めるなど、その後も宗祖のそばにお仕えし、宗祖の念仏思想の蘊義(奥義)を極めた人物と評価されています。宝治元年(1247)71歳で往生。
西山浄土宗についてより詳しく知りたい方は、
下記リンクから総本山・光明寺の公式サイトを
ご覧ください。